ビジネスの売り時

M&Aアドバイザーとして、「会社を売った方がいいですか?」と相談されることは少ない。きっとそんなこと、散髪屋に行って「髪を切った方がいいですか?」と相談するようなものだからだろう。しかし、この質問こそ本来はしてほしい質問であったりもする。

私が考える売り時は、以下の3つだ。これらはもちろん、ミックスな要素であり、1つだけ当てはまる場合でも売り時ではあるが、全てに該当するときは完全な売り時で細かいことを気にせず売り切った方がいい。

  • ①そのビジネスに対する情熱がなくなったとき
  • ②そのビジネスが次のステージに向かうとき
  • ③後継者がいないとき

①そのビジネスに対する情熱がなくなったとき

金銭的な動機であれ、社会的な動機であれ、ビジネスを創業したり、引き継いだりする時には強い情熱が必要だ。情熱がなければどんな優れたビジネスモデルも、どんな優れた能力を持った経営者でも、ビジネスをスケールさせることはできない。

しかし、その情熱は永遠のものではない。情熱がなくなる要因は、体力や気力の衰えかもしれないし、別のビジネスへの関心のシフトかもしれない。いずれにしても、食うに困ることはないからとダラダラと続けてもいいことはない。現状維持すら難しくなり、最終的には廃業に追い込まれるリスクもある。

感情論ではあるが、ビジネスに対する情熱がなくなった場合は、売却を考えた方がいい。

②そのビジネスが次のステージに向かうとき

ビジネスのステージが変わるときも、売り時の一つだ。なぜなら経営者に求められる能力が変わってくるからだ。例えば、従業員5人の会社に求められる能力と10人の会社に求められる能力はさして変わらないが、10人と100人では大きく違ってくる。従業員数を売り上げに置き換えても同じことが言える。

会社を売るなら大きくしてから売りたいのが人の情であるし、経営者本人が自分の能力を適切に把握できているのも稀だ。本当に売り時なのか、自分が次のステージも経営すべきか迷う経営者も多いだろう。

私が思うに、大規模な企業経営に求められる経営者の資質とは大きな投資・赤字に耐えられる個人資産・資本と部下を信頼し、丸ごと任せ、十分に報いる度量だ。要するにケチケチしている人は大きい企業の経営に向かない。

しかしこれは後天的に獲得できる資質であるとも考えられる。よくあるパターンとしては1つ目のビジネスを数億円で小さく売って、その資金や経験を元手に大きなビジネスを作る人も多い。

これもまたよくあるパターンなのだが、ビジネスを急拡大させると人を増やさなければならない。人を増やすと固定費が爆発的に増える。これが人件費の先行投資であるが、この結果、どんだけ高利益率のビジネスであってもキャッシュが追い付かなかったり、赤字かトントンくらいの利益になることがある。売り上げも従業員も爆発的に増えていて、傍目には急成長企業に写っているのに、経営者としては利益もキャッシュも追いつかず不安だけが残る、この状態で一番怖いのは従業員の大量離反だ。なぜなら、急成長している企業は大量採用をしており、従業員のロイヤリティが薄く人材基盤が脆い。

大量の人材を統率するカリスマ性や、適切な成長速度を見極められる計画性がなければ、ここで組織を崩壊させてしまい厳しくなる。売り上げが落ちると評判が落ちる。在庫なら最悪二束三文で売りさばけばよいが人が離反すると悪評がたち採用が出来なくなる。だからこうなる前に、さくっと上場したがるのだ。

ただ、さくっと上場できない場合、最終的にモノをいうのは創業オーナーの資力だ。オーナーの個人資産は成長投資のための資力というより、危機を乗り切るための防衛のためにあると思った方がいい。なぜなら、こういった急成長から来る歪みは時間がたてば沈静化するのだが、その「時間」を稼ぐには個人資産が必要だからだ。ファイナンスで乗り切れる場合もあるが、スタートアップに何億円も無担保で貸してくれる銀行はないし、経営危機が来て売り上げが下がった場合、普通のVCは投資を控える場合が多い。

③後継者がいないとき

これは言わずもだなだが、後継者がいない場合は売り時である。よくあるのが、後継者と思っていた人物が退職してしまったり、亡くなってしまう場合である。これについては本当にどうしようもないが、廃業するか、売却するかのどちらかしか選択肢は残されていない。

これについては、意外なことに引退するギリギリまで気が付かないというケースが多い。厳密にいえば、「どうにかなる」と思ったまま時が過ぎていくのだ。後継者指名はしていないが、「なんとなくやってくれそう」な人にいざ打診してみたら、当の本人は全くそんなつもりはなかったり、成長を期待していた人がいつまでも変わらず「これじゃだめだ」とあきらめるパターンなどである。

特にビジネスが上手くいっていて、それなりの役員報酬が出せるくらいの利益があると「とりあえずは大丈夫じゃないか」と思うようだ。しかし、ビジネスというものは財閥のような大企業や法で守られた独占企業でもない限り、常に新しい顧客や人材を獲得しなければ刻一刻と劣化してしまうものだ。この劣化は、往々にして、段階的なものではなく急に来て一気に廃業に追い込まれてしまう。そうなる前に、後継者がいないと判断した場合は売却を検討すべきだろう。

逆に売り時でないタイミングは?

以上が私が考える「売り時」だが、逆に売り時でないタイミングもあると思う。これは枚挙に暇がないのだが、私が特に思うのは「個人的にお金が必要なとき」と「外部環境(市況・景気)が悪いとき」である。

前者に関しては、個人的にお金が必要なタイミングとそのビジネスの動向は関係ないので、売り時ではない可能性が高い。借り入れや私財を整理するなどして工面すべきことであり、ビジネスはビジネスとして淡々と経営すべきである。

後者に関しては、外部環境の悪化により業界そのものが消滅するような構造的な変化を除けば好転を待つべきであり、むしろ時間をかけてビジネスを磨くべき時だと考える。もっと言えば、撤退する同業者を買っていくべきような時期ではないだろうか。もちろん、それにより心が折れて情熱がなくなってしまった場合は、それはそれで売り時なのだけれども。

リーマンショックを引き起こした二つのグル信仰

リーマンショックから16年がたった。多くの人があの夏を忘れることはないだろう、私も一生忘れることはないと思う。リーマンが破綻した直接的な引き金は、アメリカ政府が公的資金を使って救済をしなかったことであることは間違いない。金融機関の救済が当たり前になった今では考えられないが、当時のアメリカの政策決定の最高責任者たちは「税金で民間企業であるリーマンブラザーズを救済することは納税者が許さない」という意見で一致したのだ。

この決定をしたのは、ノーベル賞を受賞したバーナンキFRB議長、ゴールドマン・サックスを世界一の投資銀行に押し上げた最大の功労者ポールソン財務長官、そして合衆国憲法が定める最後任期があと数か月で終わりもう有権者のご機嫌取りをする必要がないブッシュ大統領だ。彼らの決定は当時としては当たり前だったのだろう。今でも彼らの決定を責める声はそこまで多くないように思えるが、リーマンの地獄を経験したアメリカ人の変わった。その結果がコロナ後のインフレで破綻したシリコンバレー銀行等の迅速な救済だ。「リーマンを繰り返すな」という大声はゴリ押しに近いように感じられたが、結果としてリーマンは繰り返されていない。

さて、リーマンショックの遠因となった斎藤栄功(懲役15年)という人間が日本で引き起こした371億円の詐欺事件をご存じだろうか?この現象には投資の世界での二つのビッグネームが登場する。ゴールドマン・サックスとウォーレン・バフェットだ。この二つの名前が独り歩きし、巨額詐欺事件が起こり、巨大投資銀行が破綻した。

斎藤が起こした詐欺事件は単純なもので、丸紅の一社員の山中譲(懲役14年)と結託しその権限がないにもかかわらず、丸紅が債務保証する旨の偽造された書類を差し入れて外資系金融機関から1000億円とも1500億円ともいわれる大変な金額の金をだまし取ったのだ。

斎藤は本物の元大手外資系証券会社の社員であり、山中も本物の丸紅の現役の社員だった。そんな経歴の人間が書類を偽造するわけがないという先入観からか、彼らのスキームがあまりに巧妙だったのか、最初に出資に応じたのはゴールドマン・サックスだった。ゴールドマン・サックスは「最初に」100億円を出資した。

この瞬間から、丸紅の偽造された書類より遥かに強力な詐欺の道具が誕生した。「あのゴールドマンが100億円を出した」という事実である。その厳然たる事実の前では、丸紅の書類が偽造か真正かなどどうでも良いに等しい。この瞬間に他の金融機関はほとんど出資に応じる義務を負ったようなものだった。「ゴールドマンが出したのだから間違いない」、「ゴールドマンに独り占めされる」、「ゴールドマンに後れを取るな」というグル信仰を根拠に多数の一流金融機関が詐欺師に金を出し続けたのだ。

正解がない投資の世界では、「勝っている人のマネ」を必勝法だと信じる人がいる。それをグル信仰と呼ぶ。しかし、これをしたところで「お金」という魔力を目の前にしたとき、人は本能に従って行動するためマネをしているようで全くマネなど出来ないのだ。さらに言えば、本当に勝っている投資家はごく僅かで彼らが手口をやすやすとすべての手口を明かすわけがない。実際、騙されているだけのゴールドマンの行動をマネしたリーマンはババを掴まされ、371億円の焦げ付きを出すことになる。

もちろん、十兆円単位のバランスシートを持つリーマンにとって日本での数百億など大した問題ではなかった。しかし、信用不振に陥ったリーマンにとって思わぬ打撃となることになる。それはこの詐欺事件が明るみになったタイミングがちょうど、ウォーレン・バフェットとの救済交渉と重なったのだ。

リーマンのファルドCEOとバフェットが面談したとき、ファルドは絶対に知っているはずのこのタイムリーな詐欺事件について一切言及しなかった。ファルドからすれば聞かれていないことには答えようがないと思ったのか分からないが、事前にこの詐欺事件を知っていたバフェットはファルドを不誠実な人物とみなしたと同時に重要な投資アイデアを得ることになる。「こんな情報開示すら出来ないリーマンは、自分以外にもう頼れる者がいないのではないか?ともすればリーマンの状況は想像以上に深刻である」というアイデアだ。

この出来事が決定打になったか分からないが、バフェットはリーマンの救済を拒否し、リーマンは破綻した。奇しくもバフェットはリーマンを救済しない代わりにゴールドマンから50億ドルの優先株を引き受けた。リーマン破綻からわずか1か月後のことである。

結果だけ見れば負債総額6,000億ドルのリーマンが50億ドルの資本注入でどうにかなる話ではなかった。それ以上に重要なのは、「伝説の投資家のウォーレン・バフェットが検討の結果、救済しなかった」という事実に対するグル信仰だ。まだ助かるか分からないリーマンにとってこの事実は、「バフェットが見捨てたということは誰も救済できない」「バフェットの投資判断に逆らえる自信がない」「リーマンは終わりだ」という金融業界のコンセンサス形成し、全ての救済者が手を引かせるのには十分な材料だった。

得られる教訓としては、「多くの投資家、いや人間はビッグネームに弱くグル信仰に陥りやすい」ということと「グルの行動は必ずしも正しいとは限らない」ということだろうか。ビジネスに際しては、最も名のあるところと組むのが一番良い。これを利用しない手はない。また、「あの人が良いというから買う」「あの人がダメというからやめておく」という他人の意見が唯一の判断材料である場合、冷静な判断ができていない場合が多い。人の意見の中で重要なのは誰が言っている、ではなく、なぜそう言っているか、だろう。

DCFはWACCを弄るだけ?

FAにとっては最もポピュラーなDCF法だが、MA仲介ではほとんど使われることはない。何十件とある仲介案件の成約実績のうち、買い手から積極的にDCF法を使ったバリュエーションを求められたのはたったの1件だ。

ところで、MA仲介マンに昔言われたのだが「DCFはWACC弄るだけだからアテにならない」ということ。おっと、それは違うのではないか。

WACCの前にDCF法による企業価値の公式を示しておく。

PV=FCF1/(1+R)+FCF2/(1+R)2+FCF3/(1+R)3+・・・+FCFn/(1+R)n

ざっくりいうと、蓋然性のある事業計画で示されたFCF(フリーキャッシュフロー)を所与された割引率で割っていき、それを無限に加算していく。事業計画は無限に示すことができないため、事業計画の最終年度のFCFが永久に続くことを仮定して割り引く。これをターミナルバリュー(TV)という。TVは無限級数の和により、下記の式で求められる。

TV=FCFn/R

TVと最終年度までのPVの和がDCF法によるバリュエーションと定義される。

DCF法による割引率(R)がWACCとなる。

WACCとは、Weighted Average Cost of Capitalのことで加重平均資本コストと日本語では訳される。

WACC=D/(D+E)×rD×(1-T)+E/(D+E)× rE

ざっくりいうと、有利子負債の調達コストと普通株の調達コストを対象会社のバランスシートの構成に応じて加重平均したものである。

負債の調達コストは長期債の利回りや金融機関のプライムレート等により簡単に求められるが、普通株の調達コストは企業によって大きく異なるため、個別に算出しなければならない。CAPMというモデルを使って求める。

CAMPの公式まで言及すると果てしないため省略するが、上場している同業他社の株式に対する期待リターンがそれにあたる。

ここまで長々とDCF法の使い方について解説したのだが、何が言いたいかというとWACCの算定は様々な客観的要素により構成されているため、簡単に弄れるものではない。算定者によってそう大きくぶれるものでもない。

恣意的にWACCを操作したとする。クライアントが内部の会計士やDDファームから受け取ったWACCとの大きな乖離に気が付き、その根拠について説明を求められた場合、FAは窮地に陥ってしまうのだ。一度出したWACCを変更することなどもってのほか。ならばむしろFCFを弄るほうが楽にすら思える。

安易にWACCをいじれば好きなバリュエーション結果を得られる、という誤った理解から、「キャッシュフローをWACCで割り引いていくだけ」などと発言すると無知を露呈することになるので注意したい。

円キャリートレードとは?

「令和のブラックマンデーの原因は何ですか?」とお客様から質問を受けることがありました。こう答えました「私は円キャリートレードの巻き返しが大きいと思う。日銀がほぼ四半世紀ぶりに金融政策を変更したというのが海外機関投資家にとってインパクトが大きかったと思う」と。そうすると「円キャリーって何ですか?」と聞かれたので私の知る範囲の知識で現在起こっている現象を説明します。

「円キャリー」とは単純に言えば「円を売ってドルを買うこと」です。一般投資家にとっては「FXでドルを買う」くらいの話に使われることが多いと思いますが、機関投資家の円キャリーはもっとダイナミックで経済全体に影響を与えます。

欧米の機関投資家やヘッジファンドは、日本の金融機関(投資銀行、商業銀行)に対して巨大な与信があります。それを使って超低金利で円を資金調達をします。その規模は場合によっては1000億円単位です。その円をそのままドルに換えてアメリカの債券や株を買う、あるいは日本株を買ってその株を担保にDOW先物や日本株ADRを証拠金取引する等のハイリスクなポジションをとることもあるでしょう。

ウォーレン・バフェット=バークシャーは、円安を見越して2019年から円建て社債を1兆円以上発行しています。金利は超低金利ですが、この取引で大量の円を手にしました。これによりアメリカ本国で資金需要に応えることが出来、アメリカの高い金利で資金調達を行う必要性が圧縮されたはずです。既に巨大すぎるキャッシュポジションを持っているのになぜ借金するのか?というと、会計上現金とみなされる銀行預金や短期米国債に換えるだけで5%の金利が付くのです。これを小口化した結果、受け取れるのがFXのスワップ金利ですね。

具体的な取引はさておき、安い円で借金して日本を含む世界各国の金融商品に投資する行為を円キャリーと総称します。結果は世界各国の金融商品に投資するので同じなのですが、ドルから始めると高い金利を払う必要があるのに対して日本円から始めると低金利で済むのです。

この「歪み」に群がった海外機関投資家のポジションが積みあがっていった結果がここ数年の円安です。海外機関投資家が日本の金融機関から借金した円を売ってドルを買ったのです。

しかし、「歪み」は永遠に続くことはありません。日本の金利が上がってしまえば終わるのです。日銀が世界で最も動きが鈍い中央銀行であることは間違いありません。世界各国が利下げを議論している中で周回遅れの利上げを議論しているのですから。なので、海外のように1年で政策金利が3%も4%もあがるなんてあり得ないことは日本人ならわかるのですが、外国人にはそんなこと理解できません。欧米と同じ感覚で「金利はあっという間に上がってしまう」との不安に駆られた海外投資家たちは借金返済のための円を今のうちに確保しようとしました。

円を確保するには証拠金取引の担保に入れている日本株を売らなければなりません。もちろん、証拠金取引をまずは解消しなければなりません。これを一斉に海外投資家が行いました。その結果が令和のブラックマンデーだと考えております。

今後どうなるか?日銀はこのハードランディングな状況を見てしばらくは利上げしないでしょう。同じことをすれば政権を脅かしかねませんので、官邸が許容できないと思います。半年~1年はないと思います。

しかし、政策金利1%を目安に利上げが不可避なのも事実。リスクを認識した海外機関投資家はキャリートレードから徐々に手を引くでしょう。その結果、円安は解消され株も、新しいテーマがなければ今までのような上がり方はしないのではないかもしれません。

「真」の債務上限問題と積極財政に飽きてきたアメリカ人と

友達と「最も懸念している世界経済のトピックは?」というテーマでディスカッションしたのですが、私はアメリカの債務上限問題を挙げました。

「え?大統領選挙じゃなくて?債務上限問題って毎年やってる奴で結局解決しちゃう話では?」と友人に言われたのですが、私が着目しているのは債務上限問題の「質変化」とそれに伴う積極財政に対するアメリカ人の姿勢変化です。

「普通」のアメリカ人の最大の関心事はインフレ退治だと考えるが、これは予想外に長引いている。2024年8月現在、CPIは少し下がってきているがそれは金融市場の参加者の基準であって庶民からすれば生活必需品や家賃は全く下がっていないとの声を在米の友人からは聞く。インフレの原因は間違いなくコロナ前後の給付金だと考える。

アメリカではバイデン政権のもと、一人当たり約35万円のコロナ給付金をほぼ全国民に配った。日本では10万円を約1億2000万人だが、アメリカでは3倍以上の金額を約3倍の人々に配ったことになる。ざっくりした計算で10倍だ。当時の予算が6兆ドルだったが、日本は100兆円なので予算規模での比較では、日本もアメリカとそん色のない財政支出とも見える。

予算全体でみるとどうだろうか、日本のコロナ関連補正予算は77兆円だが、約半額の30兆円を繰り越しているので大半を使い切れていない。一方で2兆ドルといわれるアメリカのコロナ予算が使いきれず繰り越されたという話は聞かない。

脱線したが、とにかく好景気も相まってアメリカのインフレは凄い。政府がインフレをコントロールできる手段は金融を引き締めるか、予算を小さくするかの2択だ。アメリカの金融引き締めはピークに達しており、今は利下げの議論がなされているので、これ以上の引き締めはありえない。だとすれば、アメリカ人有権者の矛先は予算に向かうのではないか?つまり、「バラマキはもういい」と。実際、トランプを遥かに上回る過去最大の積極財政をやったバイデン大統領は全く支持されず大統領選からの撤退に追い込まれた(もちろん高齢問題もあるが)。の有権者の姿勢変化を受けて、大統領選では共和党、民主党ともに財政健全化を公約に掲げている。

債務上限問題の話に戻ると、これまでの債務上限問題は政争の具であり、ねじれた議会でのプロレスが長引いてテクニカルデフォルトを起こすことはあっても、予算自体が成立しないことはなかった。これからもそれはそうだろう。

最大の懸念は、「財政健全化を求める有権者への迎合と債務上限問題を意識した行政府は緊縮的な予算案を作成せざるを得ない」という結果だ。つまり、次の大統領が誰であれアメリカは緊縮財政に入ると思われる。財政政策は金融政策より実体経済に影響を与えやすいと考える。個人や企業、自治体の直接的な財務にインパクトを与えるからだ。

ただでさえアメリカはこれからリセッションに入ると予想されているのにそこに緊縮財政が加われば深刻な不況に陥る可能性が高い。アメリカの不況の影響を最も受けるのは日本である。

FAのバリュエーション、M&A仲介のバリュエーション

私はFAとM&A仲介を両方経験しているが、両者のバリュエーションについての考え方が全く違うのに驚かされた。

何が違うのかというと、FAのバリュエーションは学術的に認められた複数の手法を用いて、案件着手の初期段階で厳密に行うのに対して、M&A仲介は各社独自の手法で純資産を重視したものを実施していることが多い。

特にM&Aセンターが開発したとされる「3か年平均EBITDA(あるいは3か年平均営業利益)×5倍」や「純資産+営業権(営業利益3年分)」等という理論上、どう考えてもメイクセンスしない手法が平気で用いられている。

これだけならギリギリわかるものの、「純資産+営業利益×(3年+業界PERの1/10年)というのを最近見かけて驚いたのだが、これはこれで売り手と買い手の納得感を演出するにはよいかもしれない。

M&A仲介の場合は、オーナー会社同士の需要と供給と仲介プレーヤーの調整で価格が決定するためコーポレートファイナンスの考え方などどうでも良く、わかりやすさと納得感が重要なのだと思う。

余談であるが、M&A仲介の人はバリュエーションのことを”バリエーション”という人が多くてドン引きした。それはvariationだろうと突っ込んだのだが、種類が多いという意味では”バリエーション”というのも間違っていないかもしない(違)

そのほかにもたくさんのパターンを見てきました。仲介手数料をバリュエーションに含める場合、資本金を基準にする場合、なんとなく10億円の場合。そのたびにFAとしての考え方の乖離を感じるものの、適正価格という意味ではあまり乖離を感じたことがない。

やはり、自分のお金がかかっていると売り手も買い手も、プロセスはさておき、自分の実入りは真剣に考えるということだろうか。

競合優位性の大切さ(その事業を私/あなたがする理由)

 仕事柄か、人柄(?)か起業相談を受けることが多くある。その時にシンプルかつ重要な視点は、「そこに競合優位性はありますか?」という問いだ。この競合優位性とは何か。

 「競合優位性」とはかみ砕いていえば、そのエリア・業種・業界で既に存在する同業他社を出し抜くことができる理由、根拠だ。これが明確でない場合は、その道のプロに勝つことができないため、良くてジリ貧、悪くて瞬殺されるため、いかに魅力的な市場であったり、他に参入すべき理由があっても、参入すべきでない、あるいは内部環境・外部環境の変化により、競合優位性が失われたのであれば撤退すべし、というのが私の考えだ。

 単純な考え方だが実際、これらを実践できていないケースは多い。経営者がやりたいから飲食店をはじめる、ゴルフ事業をはじめる。簡単に儲かると思ったからM&A事業に参入する。遊休資産を活用するためにホテル事業をはじめる。。。枚挙にいとまがないが、たいてい失敗している。

 では、どうやって競合優位性を見つければいいのか。そんな方法があれば私のほうが教えてほしいが、一つのヒントはブルーオーシャン戦略だ。「自分の勝てる領域までレベルを下げていく、領域をニッチに定義して参入する。下げきったらその領域をすべて平定する勢いで競合優位性を築いていく。平定したらレベルを上げるのではなく、さらに下のレベルに下がる。武器はプライドの低さだよ」こんなことを言っていた経営者は短期間で上場してしまった。

 小さな領域であっても、競合が少なく自分ひとりの事業を成り立たせるには十分な市場が存在するケースは多々あると思うので、私自身もこのことを忘れずに日々アンテナを張りながら、自分の競合優位性を把握しておきたい。

 

地方自治体における内部統制及び内部統制監査導入の必要性について

 

 地方自治法150条により都道府県と政令指定都市は内部統制の導入が義務付けられている。一方でそれ以外の自治体に関しては努力義務にとどまり、令和4年時点で導入を予定しているのはわずか16市5町村のみである(1,662自治体が導入予定がないと回答)。これはあまりに酷い状況だと言わざるを得ないが、自治体の規模にかかわらず、努力義務を果たそうする自治体が存在することは評価に値するとも言える。なお、私が住む豊橋市は導入していないが、隣接する豊川市は豊橋市より明確に規模が小さいにもかかわらず導入済みである。

 私の考えでは、その組織の目的にかかわらず、どんな組織にも内部統制が必要であり、それに伴う内部統制監査が必要である。特に地方自治体はステークホルダーが多い(市民全員)にもかかわらず、その運営が内向きに閉ざされる傾向があり、オペレーションや意思決定、制度設計に対して牽制機能が効きにくい。そのためこれまで多くの事務ミスや不正により、市民からの信頼が失墜されてきた過去がある。そういった事務ミスや不正を予防し、発見し、是正するために内部統制は非常に優れていることは上場企業に対する金商法監査(内部統制及び内部統制監査の強制)がもたらした上場企業のガバナンス機能向上で実証済みである。

 にもかかわらず、多くの自治体が地方自治法に定められた努力義務を果たさず、内部統制の導入を拒否しているのか。その理由は想像に難くなく、以下三点が考えられる。

 一つ目はリソースの制約、つまり、導入するための専門家がおらず、専門家をアサインする予算も割かれにくいこと。二つ目はその専門家ですらプラクティスが蓄積されていないため導入が手さぐりになっていること、三つ目は行政の人間も市民も内部統制に関して無知なケースが多く、法的拘束力がない以上、積極的に導入する動きが広がらないこと。

 私は三つ目に関して、特に問題意識を感じる。DXが叫ばれる中、いまだにFAXやフロッピーといった時代遅れなテクノロジーを使用し、非効率的なオペレーションがはびこるのは内部統制と内部統制監査からの有用なフィードバックが制度設計や意思決定に活かされてないからではないか。

 内部統制と内部統制監査がないために自治体の現場で何が起こっているかを考えたい。私の結論は行政サービス、市民サービスの遅延、満足度の低下だ。自治体の業務には多くの審査が必要となる。申請書類の審査、入札内容の審査等である。これらの審査がとても遅いのは説明するまでもないが、原因はマンパワーの不足以外に不必要な審査項目や無駄なプロセスが多いからと考えられる。

 申請内容を簡素化し、無駄なプロセス(印鑑ラリー等)要件を満たしているか事務的なチェックだけで審査を通すことができるはずなのだ。しかし、そうなりえないのはまず第一に行政の業務プロセスに第三者の目が入らず、効率化されたり、改善する機会がないからだ。もう一つは監査機能がほぼないため事案をスピーディーに通してしまいミスや不正が行われると取り返しがつかないとの考えから厳密性を担保するために保守的な制度設計にならざるを得ないと判断されるからだ。

 これらは監査手続きで行われる準拠性テストと実証性テストでほとんど全て解決できると考える。監査人からの適切なフィードバックと検証の担保により、市民にとって満足度の高い制度設計が可能となり得る。もちろん、監査の牽制機能により、行政の腐敗や不正の排除が期待できるのは言うまでもない。

 以上が私の地方自治体への内部統制及び内部統制監査の導入の必要性に関する初期的な見解であり、監査機能の拡充として内部統制監査を導入した場合に見込める効果を述べた。

 (文献等)

総務省 – 地方公共団体における内部統制制度に係る調査結果

総務省 – 現行の地方公共団体の監査機能について

「地方公共団体における内部統制・監査に関する研究会」第1回議事概要

地方公共団体における内部統制制度の 導入・実施ガイドライン

米国公認会計士という資格

私は米国公認会計士という資格を持っています。ビジネスの世界ではそれなりに有名な資格ですが、よくわからないという人が多いと思います。今日はそんな米国公認会計士という資格について書こうと思います。

まず、米国公認会計士という資格ですが、アメリカの資格で日本の国家資格ではありません。日本では日本の公認会計士資格がありますが、日本の公認会計士制度は1948年、つまり戦後からの歴史しかありません。一方でアメリカの公認会計士制度は1890年代から存在します(最古は英国で1854年からあるようです)。ほかの学問や法制度と同じように会計学、公認会計士制度も西洋からの輸入品なのですが、公認会計士制度については弁護士制度(1872年、前身含む)、税理士(1912年、同)、医師(1874年、同)よりもかなり遅れて入ってきています。公認会計士の前身にあたる計理士(1927年)という資格もあったのですが、ほかの資格より遅れて入ってきていますし、業務の内容や範囲、登録要件が大きく異なるので今の公認会計士制度との連続性はほとんどないと言ってよいと思っています。少なくとも会計学に関しては、戦前日本のものは自然発生的に誕生したものであり、戦後に入ってきた西洋の輸入品とは一線を画すものと言えます。

さて、何が言いたいのかといえば、会計に関して言えば、西洋が正真正銘の発生地であり、日本で使われているものは99%輸入品だということです。しかもその輸入の歴史は浅い。これは医学に関しても言えると思います。法律や税務に関して言えば、文字通り国によって違うので日本独自のものに形を変えています。これが会計は共通言語であるといわれる所以で、一度体系的な会計の教育を受けてしまえ、国ごとの差異を勉強するだけでどこでも適応できてしまいます。

私は大学時代は、法学部だったのでほとんど会計に関する教育は受けていませんでしたが、社会に出て体系的な教育の必要性を感じました。そこで簿記検定を取ろうと思ったのが最初のきっかけです。

しかし簿記検定、この勉強が面白くない。私が求めていた体系的な会計の教育とは、決算書から財務分析をしたり、ファイナンスやビジネスのシミュレーションをしたりすることをゴールとしたものでしたが、簿記検定は財務諸表のもととなる帳簿をつけるようになることが目的なのでそのはずです。計算ばかりで求めているものとは違うなと思いました。

そこで簿記はやめてしまいましたが、ひょんなことから米国公認会計士という資格を知りました。簿記を辞めた自分にできるかなと思っていたのですが、Abitusという予備校に行ってみたところ、全てマークシート式で計算はほぼないと聞かされました。テキストや問題集を見たところ、まさに私が求めていた「体系的な会計の教育」がありました。

しかし、ネックとなったのが費用。まず予備校代に50万円はかかる。受験要件である会計単位が足りなかったのでアメリカの大学で単位を取る費用と受験費用(ストレートで合格しても1科目5万円×4科目)で最低でも100万円、多く見積もって200万円は必要でした。当時、新卒1年目で手取りの給料が20万円を切っていた私にとっては大金でした。

そこまでの見返りがあるか分からないのにこんなに費用を掛けてやるべきなのか?そもそも簿記検定すらやめた自分に合格できるのか?と、私は迷いました。しかし、挑戦しなければ一生後悔するかもしれない、と思い挑戦することにしました。

そして2012年の8月に挑戦しすることにしました。それから2年半、2015年の終わりごろやっとの思いで全科目合格し、米国公認会計士資格を取得することが出来ました。思えば、途中、資格取得を軸としていろんな人との出会いがありました。何度もやめようと思いましたが、この資格を取って本当に良かったと思っています。もしなかったら独立することもなかったと思いますし、最初の会社に今でもいたかもしれません。

この資格に挑戦することを決断させたのは、「あらゆる挑戦に失敗はない」という言葉です。もし合格できなかったとしても、得るものはあるはずだ、だったら挑戦してダメだった時、挑戦せずに何も変わらない時、どちらが人生の失敗として沈痛だろうか。そして挑戦するのであれば精一杯やってみよう、そんな思いだったと記憶しています。

あの時のことを忘れず、後悔しない人生を送っていきたいと思います。

零細企業の事業承継

M&Aを専門としているのですが、事業承継とM&Aの違いは?と聞かれることがある。私の答えとしては、「M&Aの類型の一つが事業承継です」となる。それ以上の明確な定義はなく、譲渡価額200億円の事業承継もありますし、譲渡価額100万円の事業承継もあります。

難しいのはM&A仲介、アドバイザリーの報酬、手数料は譲渡価額に係わらず、最低手数料が定められている場合が多く、場合によっては譲渡価額を超える手数料が発生することもある。大手企業の不採算部門のカーブアウト(切り離し)案件等であれば、譲渡価額0円、報酬5000万円でも全く問題ないのだが、売り手が従業員1~3人で売り上げ数千万円の企業、買い手もその一回り大きい同業のような場合、譲渡価額500万円、報酬5000万円では全くメイクセンスしない。

一方で、M&A仲介、アドバイザリー側としても、案件一つにかかる労力、時間は規模が変わってもあまり変わらないので、譲渡価額500万円で報酬50万円では全く採算が取れない。なので、あまりに小さい対象会社の案件は受任しない、あるいはプラットフォームに掲載して放置となる。

ある会社の経営者に「地元の小さい企業が廃業していくことは悲しいが、それがなくなったところで何か不便があるかと言われればないんですよね」と言われたことがある。要するに、ビジネスではなく地域創生の取り組みに近い。経済合理性を考えれば、廃業したほうが良い企業はたくさんあるし、買い手としても小さすぎる企業を買うより新規で作った方が安いケースがほとんどだろう。

零細企業の事業承継は、あまりお金儲けが介在しない非営利の取り組みとしてやるべきなのかもしれない。廃業する零細企業を無料で譲渡するくらいの取り組みがちょうどよいのかもしれない。しかし、問題はここでも専門家報酬で、これはどうしても掛かる。なぜなら専門家抜きだとやり方が誰にもわからないから。ただ、地元(東三河)に限り、私だったら無料でやれるということもある。

こういう廃業する人が無料で事業(設備)を譲渡みたいなジモティーの事業版みたいなことを豊橋でもできればなと時々思います。(どなたかいないですかね?)