M&Aアドバイザーとして、「会社を売った方がいいですか?」と相談されることは少ない。きっとそんなこと、散髪屋に行って「髪を切った方がいいですか?」と相談するようなものだからだろう。しかし、この質問こそ本来はしてほしい質問であったりもする。
私が考える売り時は、以下の3つだ。これらはもちろん、ミックスな要素であり、1つだけ当てはまる場合でも売り時ではあるが、全てに該当するときは完全な売り時で細かいことを気にせず売り切った方がいい。
- ①そのビジネスに対する情熱がなくなったとき
- ②そのビジネスが次のステージに向かうとき
- ③後継者がいないとき
①そのビジネスに対する情熱がなくなったとき
金銭的な動機であれ、社会的な動機であれ、ビジネスを創業したり、引き継いだりする時には強い情熱が必要だ。情熱がなければどんな優れたビジネスモデルも、どんな優れた能力を持った経営者でも、ビジネスをスケールさせることはできない。
しかし、その情熱は永遠のものではない。情熱がなくなる要因は、体力や気力の衰えかもしれないし、別のビジネスへの関心のシフトかもしれない。いずれにしても、食うに困ることはないからとダラダラと続けてもいいことはない。現状維持すら難しくなり、最終的には廃業に追い込まれるリスクもある。
感情論ではあるが、ビジネスに対する情熱がなくなった場合は、売却を考えた方がいい。
②そのビジネスが次のステージに向かうとき
ビジネスのステージが変わるときも、売り時の一つだ。なぜなら経営者に求められる能力が変わってくるからだ。例えば、従業員5人の会社に求められる能力と10人の会社に求められる能力はさして変わらないが、10人と100人では大きく違ってくる。従業員数を売り上げに置き換えても同じことが言える。
会社を売るなら大きくしてから売りたいのが人の情であるし、経営者本人が自分の能力を適切に把握できているのも稀だ。本当に売り時なのか、自分が次のステージも経営すべきか迷う経営者も多いだろう。
私が思うに、大規模な企業経営に求められる経営者の資質とは大きな投資・赤字に耐えられる個人資産・資本と部下を信頼し、丸ごと任せ、十分に報いる度量だ。要するにケチケチしている人は大きい企業の経営に向かない。
しかしこれは後天的に獲得できる資質であるとも考えられる。よくあるパターンとしては1つ目のビジネスを数億円で小さく売って、その資金や経験を元手に大きなビジネスを作る人も多い。
これもまたよくあるパターンなのだが、ビジネスを急拡大させると人を増やさなければならない。人を増やすと固定費が爆発的に増える。これが人件費の先行投資であるが、この結果、どんだけ高利益率のビジネスであってもキャッシュが追い付かなかったり、赤字かトントンくらいの利益になることがある。売り上げも従業員も爆発的に増えていて、傍目には急成長企業に写っているのに、経営者としては利益もキャッシュも追いつかず不安だけが残る、この状態で一番怖いのは従業員の大量離反だ。なぜなら、急成長している企業は大量採用をしており、従業員のロイヤリティが薄く人材基盤が脆い。
大量の人材を統率するカリスマ性や、適切な成長速度を見極められる計画性がなければ、ここで組織を崩壊させてしまい厳しくなる。売り上げが落ちると評判が落ちる。在庫なら最悪二束三文で売りさばけばよいが人が離反すると悪評がたち採用が出来なくなる。だからこうなる前に、さくっと上場したがるのだ。
ただ、さくっと上場できない場合、最終的にモノをいうのは創業オーナーの資力だ。オーナーの個人資産は成長投資のための資力というより、危機を乗り切るための防衛のためにあると思った方がいい。なぜなら、こういった急成長から来る歪みは時間がたてば沈静化するのだが、その「時間」を稼ぐには個人資産が必要だからだ。ファイナンスで乗り切れる場合もあるが、スタートアップに何億円も無担保で貸してくれる銀行はないし、経営危機が来て売り上げが下がった場合、普通のVCは投資を控える場合が多い。
③後継者がいないとき
これは言わずもだなだが、後継者がいない場合は売り時である。よくあるのが、後継者と思っていた人物が退職してしまったり、亡くなってしまう場合である。これについては本当にどうしようもないが、廃業するか、売却するかのどちらかしか選択肢は残されていない。
これについては、意外なことに引退するギリギリまで気が付かないというケースが多い。厳密にいえば、「どうにかなる」と思ったまま時が過ぎていくのだ。後継者指名はしていないが、「なんとなくやってくれそう」な人にいざ打診してみたら、当の本人は全くそんなつもりはなかったり、成長を期待していた人がいつまでも変わらず「これじゃだめだ」とあきらめるパターンなどである。
特にビジネスが上手くいっていて、それなりの役員報酬が出せるくらいの利益があると「とりあえずは大丈夫じゃないか」と思うようだ。しかし、ビジネスというものは財閥のような大企業や法で守られた独占企業でもない限り、常に新しい顧客や人材を獲得しなければ刻一刻と劣化してしまうものだ。この劣化は、往々にして、段階的なものではなく急に来て一気に廃業に追い込まれてしまう。そうなる前に、後継者がいないと判断した場合は売却を検討すべきだろう。
逆に売り時でないタイミングは?
以上が私が考える「売り時」だが、逆に売り時でないタイミングもあると思う。これは枚挙に暇がないのだが、私が特に思うのは「個人的にお金が必要なとき」と「外部環境(市況・景気)が悪いとき」である。
前者に関しては、個人的にお金が必要なタイミングとそのビジネスの動向は関係ないので、売り時ではない可能性が高い。借り入れや私財を整理するなどして工面すべきことであり、ビジネスはビジネスとして淡々と経営すべきである。
後者に関しては、外部環境の悪化により業界そのものが消滅するような構造的な変化を除けば好転を待つべきであり、むしろ時間をかけてビジネスを磨くべき時だと考える。もっと言えば、撤退する同業者を買っていくべきような時期ではないだろうか。もちろん、それにより心が折れて情熱がなくなってしまった場合は、それはそれで売り時なのだけれども。